『地域力の再発見 – 内発的発展論からの教育再考』の著者 岩佐礼子さんインタビュー

インタビュアー 吉野正哲

    写真撮影 間部百合

webサイト地振り開設記念インタビュー

   

「内発的発展論の現在」 

  

2020年11日12日にこのインタビューは敢行されました。前日のインタビューが人生で初めてのインタビューで、この日が人生2度目。前日の夜フェリーで大阪港を出て、早朝別府湾に到着し、午前中にネットで調べた電話番号にお電話してアポを取って、その日の夕方にインタビューをさせていただく、という怒涛の展開でした。ちょうど写真家の友人の間部百合ちゃんも東京からきていたので、同行して写真撮影をしてもらえることになりました。 

今回取材させて頂いたのは岩佐礼子さん。「内発的発展論」を研究されている研究者の方です。このウェブサイトの名前「地振り」は自分の中では「内発的発展論」を言い換えた造語なので、プロジェクトを始めるに当たって研究者の方から直接、内発的発展論についてお話を聞きたいと考えていました。  

内発的発展論には二つの系統があると言います。玉野井芳郎と鶴見和子の系統と、宮本憲一の系統のものがあるらしいのですが、ぼくはどちらにも好感しか持っていなくて、違いも良くわかっていません。宮本憲一さんは九州筑後平野を流れる柳川の掘割の再生を描いた映画『柳川掘割物語』(高畑勲監督ドキュメンタリー作品)の事を、内発的発展を見事に体現している例として著書の中で紹介しています。一方、鶴見和子さんが内発的発展論を重ねて見た地域は水俣でした。どちらも九州なのは面白い符号です。今回のインタビューも大分県の佐伯市で行われたのでますます内発的発展論と九州の関係の深さを考えさせられます。内発的発展とは、地域や人間の内部から湧き出す力、自身の力や創意工夫で、豊かな人生や社会を作り出すことを意味します。

 「一人一人の内側からほとばしるのもを大事にしていくということ。だからアニマよ。アニマを大事にしていく。」※1

「内発性とは何か、それは民衆の魂という事だと思うのね。民衆の魂の中にある力だと思う」※2 

(『鶴見和子・対話まんだら 石牟礼道子の巻 言葉果つるところ』藤原書店より抜萃。※1 p166第7場 四角い言葉と丸い言葉 ※2 p247第10場 アニマ──民衆の魂)

名刺も肩書きも何もない為、インタビューはぼくの長い自分語りから始まります。その点ご了承ください。 

それではインタビューの始まりです。みなさま、ごゆっくりとお楽しみ下さい。

 

内発的発展を佐伯で模索したい 

 

── 私は子どもの頃、勉強を全然やらなかったんですけど、何かのきっかけで谷川健一さんの『独学のすすめ』とか、港湾労働者で労働しながら生涯独学をしたエリック・ホッファーの自伝を読んだ事から、今でも図書館に通ったり、本を読むのが好きです。その流れで岩佐さんの研究されている「内発的発展論」にもどこかで出会ったんですけど、2009年丑年に京都の南丹市で搾乳の仕事、牛の乳搾りの仕事をしてたときに、牛の事が大変だなって思って。過酷な──

岩佐 ねぇ、人間の為にね〜。無理矢理妊娠させられて、乳は搾られるし。

── そうですね。すべての生きる「よろこび」とか「自由」を奪われて、それが日本の義務教育に重なって見えた部分があって──

岩佐 (笑)

── それで「この牛たちの人権ってどうなるのかな?」っていうような事を考えた時に人権問題や環境問題に関するドキュメンタリーを色々観るようになったんです。水俣のドキュメンタリーとか。そういうところに牛たちの気持ちを代弁をするような言葉があるんじゃないかと思って。その頃に鶴見和子さんと石牟礼道子さんとの対談の『鶴見和子の遺言』というDVDを観ました。そこで「人間はもっと活躍できる」という話をお二人がされていて、「人間に比べて蝉ってゆうのは全力で生きていて素晴らしい」って、石牟礼さんと鶴見さんが語り合っていて。話されている事は極めてシンプルだったんですけど、なんかすごい気になる対談だったんですね。それで3.11の後に赤坂憲雄さんと鶴見和子さんの対談をまとめた『地域からつくる』という本を読んだ時に初めて「内発的発展論」と「萃点」という言葉に出会ったんだと思います。しかし3.11からしばらく経った今、その「内発的発展論」とか「萃点」ってどうなったんだろう?赤坂憲雄さんもあの対談の後どうなっちゃったんだろう?って気になっていました。どうも「続編が無さそうだな」「潰えたか」って思ってた時に、岩佐さんのあの本があるっていうのを知って、その中にちゃんとその事をまとめて書かれているっていうのを知って、驚いたんですね。潰えてしまったんだろうなって思っていたんですけど、その「内発的発展論」の実践?それを岩佐さんがその研究をされてるというのを知ったので、いつかちゃんと勉強してお話をうかがいに来たいなと思っていたんですけど、ちょっと僕もまだ岩佐さんの書かれた本を読み込んでしっかり勉強出来ていないんですけど、ただ今回凄く近くまで──

岩佐 大分までねー

── 来る機会があったので、時期早々とは思いながら、、お顔を、あのー、(適切な表現が出て来ない)見させて頂くじゃないですけど──

岩佐 (笑)

── あの何て言うんですか?足を運んで、こうゆう場所をしているというのをネットで知りまして、じゃあここなら訪ねて行っても良い、という場所なのだろうなと思いまして、伺わせて頂きました。そもそもここの施設っていうのは「公民館」の様なものなんでしょうか?

岩佐 確かに使い方としては公民館みたいな感じなんですけど。ここはうちの祖父が生まれた家なんです。祖父の生家で築161年なので、幕末の庄屋だったんです。農民のリーダーで、皆の年貢を全部かき集めて役所に渡すところでした。だから本当はもっと大きい倉庫とか門があったらしいけど、全部壊してこれだけ残ってましたけど。

── じゃあその地域を代表される町内会長さんのような。

岩佐 そうですよね。その江戸時代は。(笑)その経緯は全部ここに書いてあるんですけど、大学院で研究してて、6年半かかったんですけどね、卒業に。それ以前は海外にいたんで──

── アフリカに──

岩佐 はい。で、ESD(Education for Sustainable Development・持続可能な開発のための教育)っていうのが非常に国際的な教育ってことで海外にもいることがあって「ちょっとESDやってみようかな」って思って、付いた先生が「鬼頭秀一」っていう「環境倫理学」で日本では本当に有名な方なんですけど。『自然保護を問いなおす』って、読んだ事ないですか?

── 無いです。。

岩佐 その先生の本なんですけど。「上っ面でかっこいい「ESD」みたいなんじゃ全然研究できないな」っていうことを「叩き込まれた」先生で(笑)。本当に「あなたがやりたい教育っていうのを探しなさい」みたいな感じで。それで考えてる内に学校教育ではない、生活の中での教育というのが大事じゃないかって思いまして。全然、大学院に入る前は想定してなかったんですけど、非常に日本的な研究をすることになったんですよね。読まれたらわかると思うんですけど出羽三山の非常に宗教的なものっていうか、或は「綾町」なんかも典型的な小さい町ですけども、山形県大井沢の自然学習とかですね、ああいうほんとうに「ど田舎」に、何度も行くようになってですね。段々段々「日本の地方も捨てたもんじゃない」って思うようになって。みんな東京に行って「良い仕事を」「儲けよう」と思っているけど、私も、もう五十過ぎてたし、今ITがあるんだから、別に東京いなくても、どこでも世界中と繋がるし、研究をしながら「地方っていうのは面白い」って思いだして。卒業したら佐伯に帰ろうとは思ってたんです。そこを拠点に自分も「内発的発展論」を書いてるから内発的発展を佐伯で模索したいと思って。それで佐伯に戻ってきて、なんか自分の居場所が無いと。家になじめなくて。まぁ変な話、親とずーっといるっていうのも結構苦痛で。(笑)

── まあまあ、それは。ええ。(笑) 

  

民家バンクに入会する

  

岩佐 やっぱりずっとね、離れて独立してたのでライフスタイルが合わない。私は環境の勉強をしてましたので、私とは違う専門の院生が「和風建築っていうのは非常に健康に良いんだ」という事をずっと言ってて、そういう発表も聞いてたんですね。特に伝統建築だと、全部自然に戻るものばかり。木と土と紙と竹とかね。やっぱり環境をせっかくやってきたし、そういう所を拠点にしたいと思ってこの日本民家再生協会に入って、協会の会報誌の一番うしろにあるんですけど「民家バンク」っていうのがあるんですよ。古民家の空きバンクっていうのがね。それで探し始めたんですよ。九州とか近いところに「良いのがないかな」って。

── ここがありながらですか?

岩佐 いや、ここは知らなかったんです。

── ご実家って、あの──

岩佐 佐伯ですけど、そこは新建材の家なんです。

── お母さんもそこに住まれてたんですか?

岩佐 住んでて。私もそこに住んでたんですけど。それでその空き家バンクを探して。山口に行ったり九州に行ったりしてたんですけど。協会がやっているのでちゃんと予約して、設計士が案内してくれるんですね。で、幾つか見て。そういう設計士に何人か会ったんですけど。最後に会った人が「あなた移築っていうのはもの凄いお金かかりますよ」って。「何で大分で探さないんですか?」って言われたんですよ。「どれくらいかかるんですか?」って言ったら「3、4千万かかりますよ」と。移築するだけで。解体してまた組み立てるわけですよね。で「プラス、リフォームしないといけないでしょ?」って言われて、「そんな予算無いでしょ?」って。「そうだなー」とか思って。(笑)それで、じゃあやっぱ地元の佐伯で探さなきゃいけないな、と思ってた時に母が、「昔、爺ちゃんが生まれた家があったんやけどな〜」って言い出して。「まだあるかな〜」って来てみたらこの状態だったんですよ。(写真を見せる)この状態。

── ああ!草に埋もれて家が見えない。(笑)

岩佐 木がもう全部生えてて屋根がもうほとんど見えないくらいで。蔦が絡まってて。それでも親戚が管理してて持ってたんで「一ヶ月後に来い」と「木を切って入れるようにしておいてやる」っていって。で、来てやっと入ったんですね。で、もう酷い状態で。もう床もボロボロだし、白蟻も喰ってて、雨漏りもしてたし。で、その時はここ天井があったんですよ。天井がね。で、階段がここにあったんですけど。「二階もあるよ」っていうから「物置だけど」って言われて。で、二階に上がったら、この梁が見えたんですね。そしたら凄いじゃないですか。

── そうですね。ね、これね。

岩佐 うんうん。「立派だなー」って思って「これは意外と使えるかもしれない」と思って。で、その再生協会に登録してる九州の建築士を探したんです。で、なんかひっかかったのが熊本の建築士で。熊本だったら来れない事ないし、連絡して「調査して頂けますか?」って言ったら来ましょうって言って来て下さって。で「使えるでしょうか?」って言ったら「私は60%使えるんだったら勧める」と。「40%しか使えないなら勧めない。この家は50%だ」と。(笑)

── (笑)

岩佐 「あなたが決めなさい」って言われて。で考えた時にやっぱりこの凄い梁とかがね、棄ててしまったら勿体ないと。お金はかかるけど、やっぱりやってみようと。自分の祖父の生家というのも縁が感じたし。正に「萃点」じゃないですけどね。「これも縁だろうな」と。まだギリギリ間に合ったというかね。多分あと何年かしてたら解体されてたと思うんですよ。それで決めて。一年間設計にかかって一年間改修工事をして二年かかったんですよね。で、その先生も古民家専門なんですよ。そういう修理しながら。まあ「設計士ってみんなこうなのかな?」って思うけど、すごい聞くんですね「あなたは何に使いたいのかと」と。どう利用したいのかと。それによって全然違ってくるって言われて、まさにそういう公民館みたいなね、いろんな人が集まって、使って、料理教室をしたりとか、講座をしたりですね。或は交流会したりとか、そういう感じで使いたいと。そういう感じで設計して下さって出来たんですね。これが。その後は本当にかなり順調に色々やりたい事が次々と出来てます。カフェにはねぇ二年ぐらいかかったんです。

── カフェはどこにあるんですか?

岩佐 ここがカフェ。この部屋を週に二日だけお貸しするんですね。若い方が来て。あとは「野草塾」って言って「地域おこし協力隊」ってありますよね?佐伯にもいて野草の専門家がいるんですよ。その方が月二回来てここら辺で野草を採ってそれで料理をして皆で食べる。そういうのもやってますし、あとやっぱりもう一人地域おこし協力隊の人が(家の)前の畑はうちの畑じゃないんですね。隣の人のなのでお借りして農業体験をその人といまやってます。今度小麦を植えるんですけど、三年前は大豆を穫って味噌作り。昨年は大豆で醤油を作りました。そういう感じで色んな人を巻き込んで環境に良い事をやりたいと。ある意味でここを「萃点」として色んな人の出会いの場所にしたいなと思ってます。

 

他所の知恵とか技術も取り込みながら、伝統を再びリクリエーションして行く。それが内発的発展論。

  

── その「内発的発展論」を実践すると書かれていたのを読みまして、凄い事をされようとしているんだなと思ったんですね。内発的発展論って鶴見和子さんが様々なものの中に見いだした「ああこれは内発的発展論と言えるな」というような自然にそうゆう状況になったものに当てはめた様な理論というような印象だったんですけど、それを実践の原理みたいにしてやるっていうので、驚いたんです。

岩佐 解釈によるんですけど鶴見さんがほんとに内発的発展論を、今の様な理論に革新したのが水俣なんですよ。何故水俣かっていうと水俣病の患者さんに会って、あんな不自由してね、苦しんで、身体が上手く使えない人達がもの凄い努力をして、そしてきちっと生活してるんですよ。で、それを見て内発的発展論っていうのはやっぱりその人間、根本的にはやっぱり人間なんですよ。人間が、自身が最大限の能力を発揮する事であって、それは病気であろうと何であろうと、その人なりの最大限を発揮したら生きて行けるという様なね。そういうものが根本にあって、ああいう風な発展論になったと思うんですよ。だから「人づくり」って言いますよね。内発的発展論っていうのは結局は人づくりだと。だから内発的発展論は「国」じゃなくて「地域」の発展なんですよ。やっぱり大事なのは生態系を大事にする。その地域の生態系「山」と「川」と「自然」と。で、そこに住む人の暮らしと、その住む人々がやっぱり、なんていうかな「学校教育」だけじゃない本当に自然と関わる時の知恵を身につけるという事ですね。自然っていうのはもの凄い教師なんですよ。

── そうですね〜。

岩佐 そう。色んな事を教えてくれる。怪我をしたら痛いという事も教えてくれるし。だから人間が育つ。私、研究してた時に、皆によく聞かれたんですけど「すごい内向きじゃないか」と(笑)。内発の「内」っていうのがね、みんな引っかかるんですよ。だからこんなちっちゃい地域の中でね、自分たちだけで発展してるようなね、そういう内向きの発展じゃないかって良く言われたんですけど、決してそうじゃないんですね。鶴見和子さんが仰ったのは、細胞の様にですね、要するに栄養は外から取り入れなきゃいけないんですよ。だからその地域の人間自身の最大限を活用しながらも外からの知恵、外からの技術も取り入れて開かれてないといけない。それを排除しちゃいけないわけですよね。開かれながら「伝統の再創造」って言いますけどね、その地域で育んで来た伝統を、やはり社会も、気候も変動するし、そうゆう他所の知恵とか技術も取り込みながら、その伝統を再びリクリエーションして行くっていうのかな、それが内発的発展論ですよね。

── その岩佐さんの元々佐伯にあったご実家というのは、ここから結構近い所にあったんですか?

岩佐 ここから12,3分の所です。車で。

── その「風土性」っていうか「人間性」っていうのは大体ここの感じと似ているっていうか繋がっている──

岩佐 いやー、やっぱり違うと思う。

── 伝統文化っていうか、伝統的な行事なり、風習というか──

岩佐 お祭りもあるし。船の。はい。

── 船のお祭りがあるんですか?

岩佐 そうですね。やっぱり海に面してるので。「ジョーヤラ」っていうんですけど。もう昔はねぇ、漁師が多かったから、何十隻もその祭りでは漁師たちが船を出して、先頭のお祭りの船ね。大漁旗を「ばー」ってたなびかせて、で、こうグルーっとこう港を廻るんですよ。で、それを何十隻も後から付いてってすごい、素晴らしい光景だったらしいんですけど(笑)今はもう全然漁師がいなくて。2,3隻付いて行くだけで──

── それはもう魚がいなくなっちゃったから──

岩佐 いや、やっぱ漁師が人気ないんじゃないですか?若い人に。

── お魚はまだいるけど。

岩佐 いるけど。今ね、どっちかって言うと養殖になってます。でも養殖だって漁師ですから、船はあるんですけどやっぱり圧倒的に人口が減りましたよね。みんなサラリーマンになりたがるから。子どもが。(笑)都会の大学に行って、それから都会の企業に就職っていう。だから農業もそうじゃないですか。農業も全然もう減りましたし。人口が。

── ここはやろうと思えば農業も漁業も出来る土地ではありますよね。

岩佐 うちは3つ土地借りて、その体験をやってます。それはもう趣味の世界です。一種の教育ですけどね。「食育」って言うんですけど。全然儲からないし(笑)ただ私がやりたいことなんで。市から補助金を貰いながらやってますけど。だから職業としての農業じゃないです。全く。それはある意味でイベント農業の様な。

── その農業だったり自然の中で学んでいく事、自然を教師として、教材とするって言うのは本当に理想的だなって思うんですけど、僕の住んでる準工業地帯にある家とか、新興住宅地に住んでる人なんかは自然が身近にはあっても、寄っていける、参加できて受け入れてくれる様な体制が整っている場所っていうのがなかなか無いですよね。ここだと「農業またやろう」って言ってもやれる場所があるんじゃないかなっていう感じがします。それでも生業にしてやって行くのは大変なんでしょうけど。

岩佐 むしろ都会でもね、川が流れてたりね。東京なら隅田川なんかねぇ土手もすごい自然がいっぱいだし木も生えてるし。昔は放課後は子どもたちはああいうとこで遊んでたんですよ。それをやっぱりしなくなった感じが残念。だから綾町も凄い自然豊かなんですけど、最近は子どもは自然の中で遊ばなくてゲームばっかりしてるんです。だからどんなに豊かな自然が周りにあっても、やはりライフスタイルが変わってしまった。それをどう取り戻すかっていうのが課題ですよね。

  

内発的発展は大人の責任。色んな意味の継承が切れてしまった。それを改めて取り戻す取り組みを大人がしないと、子どもは自分たちではもうわからない。その大人の責任を地域でシェアしてなんとか行動に結びつけれれば。 

 

  

── そうですよね。新建材に囲まれたお家の中でテレビやゲームに向かっちゃうっていうのは、僕もそうだったのですごくわかるんです。やっぱり梁がこうあって、ここに降り注いでくる光とか、家の中に漂っている温もりとか、時間によって変化する光の雰囲気を味わったりする感性がなかなか育っていかないっていうのが、クロス貼りの家なんかだとそうなるのはしょうがないと思うんです。そこから子どもたちを外の世界に向かわせる技法というか、何か「内発的発展論」の中にそうゆう着眼点って言うんですかね、応用出来る、育児というか子どもたちの時間、地域社会の中で子どもたちが如何に過ごすか?という事に「内発的発展論」をどうゆう風に応用出来るのか──

岩佐 そうですね、まあ難しいと思いますけどね。現実というのは厳しいし。私が農業体験していても子どもが畑に入る時に「生まれて初めて」って言う子もいるし、虫を見つけてすごい喜ぶ。花を摘んだりですね。やっぱり本来それは放課後にやってた事を、せめてこういう時に体験させてあげたいっていうか。だからやっぱりね、大人の責任だと思いますよ。「内発的発展論」は。私、または前の世代が日本の高度成長期で、そういう大事なものを見失ってた生き方をして、色んな意味の継承が切れてるわけですよね。子どもの遊びもそうですし。それをやっぱり改めて取り戻す様な取り組みを大人がしないと、子どもは自分たちではもうわからない。ですからそれは大人の責任だと思うし、その大人の責任をやっぱり地域でシェアしてなんとか行動に結びつけれればね「内発的発展論」っていうのも一つだと思うんですけど。だから私もやっと住民になって、こういう活動をしてますし、残念ながらね、地元じゃないんですけど、近い地元で助けてくれる人が増えてるんですよ。(畑の耕耘を)トラクターでやってくれる人は車で5分のところに住んでいるし。あと私の同級生がこの小山の向こうに住んでて良く手伝ってくれたり。それからやっぱり地に足を下ろしてやっていると段々そういう関係が生まれてきて、それが上手く繋がっていくと、この地域もね「手伝おうかなぁ」とか思ってくれるかなと思いますけど。

── そうですね。ちょっと話が変わってしまうんですけど、私、あの転勤族で豊能町って言う大阪の新興住宅地、えっと能勢電鉄という鉄道会社が造った新興住宅地に30年ほど前に住んでいまして、去年そこでアートイベントがあったんです。「のせでんアートライン」と言う。そこで友人の建築家の岡啓輔という人と僕も参加して「逆オンバシラ祭」といって、2トンのコンクリートのオンバシラを100人で担いで運ぶっていうイベントをしたんですね。何かそれをきっかけに、子どもたちの内発的発展じゃないですけど、ゲームばかりやってる子どもたちを家からこうね、天岩戸の前で天鈿女(アメノウズメ)が踊って、天照大神をこう、誘き出した様に──

岩佐 はいはいはい

── こう、引き篭もった子どもたちをね、誘い出す様なそんな事が出来たら良いなって言う様な事を考えてたんですけれども、残念ながらそれがちょっと、あの今のところ叶ってないんですけど。なんかこう、新興住宅地って言うのは、きっかけになる様なシチュエーションを作るのが難しいなとすごく思わされて、だからその、カフェでも良いんですけどカフェもなかなか無いみたいな状況がありまして、なかなか無いんですよ居酒屋も無いみたいな町で。畑もないんですよね。当然。公園はあるんですよ。遊具もあるんですけど。

岩佐 川は?

── 川はね、ちょっと離れた所に初谷川という川があって、こないだコロナ禍でSNSで拡散されて大阪中から家族連れが訪れたっていう事があったんですけど。地域の子どもたちが自然に遊ぶ場所っていう風にはなれてないんじゃないですかね。

  

本当に大事なのは小学生くらいに充分自然の中で遊ばせてあげること/子ども同士で関係を作りながら遊ぶ事/郡上八幡がスゴイ 

  

岩佐 そうね、あの、まぁこれは特殊な例だと思うんですけど、私の知り合いの九州大学の工学部の先生がコンクリート張りの川を自然に戻すっていう事をやってて。それは福岡でやったのかな。「いや、それは危ない」って言う住民もいながらも何度も何度もワークショップをして合意形成して、で、コンクリを取って、剥がして、まあ出来るだけ洪水にならない様な感じで造ったら、もお凄いですよ!子どもが遊ぶ遊ぶ。もう何人も。夏なんか毎日毎日。だからそういう環境をやっぱり大人がね、作ってあげる。そういうのが出来たら良いんですけどね。

── 「子育て」って子どもが大きくなると親たちもそこから離れて、今度は「介護」とかまた別の興味関心に変わっていくから、サイクルとして根付いていかないというか、皆んな時が過ぎると離れていっちゃうっていうところがあるみたいですね。

岩佐 子どもも、もう高校になるとね、もう「受験受験」でしょ。なんか遊ぶのが「悪」の様な。ま、でも多分ゲームはしてると思うんですけど。(笑)だから本当に大事なのは小学生くらいに充分自然の中で遊ばせてあげること。それをやっぱり考えていかないといけないんですけど。そこは地域で地区とかあるんでしょう?

── 自治会はあります。

岩佐 お年寄りばかりみたいな?

── ただそうですね、お年寄りが中心で、図書館に来られるのも中学生くらいになったら来なくなるそうで。やっぱり地域の事に目が向き始めるのが会社をリタイアされてからとか──

岩佐 そうですよね、手が空いてね。

── 僕なんかから見ると「民俗学」とか、なんていうんですか?「生活綴り方」とか身近なものに目を向けて、そこからなんか自分たちの表現っていうか、鶴見さんの場合でも生活記録運動っていうのと内発的発展論って繋がってますよね。そうやって身近なものに目を向ける中から気付いていって、その問題を感じたり、良い面とか可能性とか、何かを見つけて行くみたいな、そういう事の方に時間を、子どもたちをもっと──まぁ大人がそういうことに時間を使わないのに子どもに使えっていうのも無理な要求ではありますが。

岩佐 そうですねー、だから本当に子どもはまだ歳も浅いから、どういう社会だったのか、昔を知らないし、やっぱり大人がなんとかしてあげるしかないんですよね。 

── そうですね。子どもがジブリのアニメでも良いですけど、ゲームでも良いですけど、やっぱり「受け身」って事でやっぱり終わっちゃうっていうのが問題で、やっぱり自然が一番の教師で教材だっていうのはそこに能動的に関われるって言うのが何よりもの違いって言うか、参加の度合いが違いますし、全身で体験する時間の中で感性もそこで育つわけですし。

岩佐 本当はね、大人いない方が良いんです。子ども同士で関係を作りながら遊ぶっていうのが一番なんですね。でも今は付きっきりじゃないですか。危ないからって。それでもね、キャンプに連れて行って焚き火を教えたりとか、お肉焼かしたりとか、木を切らせたりとか出来ますけど、本来は子どもが純粋に子どもだけで遊べる──そういう自然環境の中で──それが最も子どもにとって、本来の生きる力を付けれる場所なんだと思うんですけどね。川で遊んじゃいけないっていう決まりがある学校も多いし。ただやってる所もあるんですよ。川で遊ばせてるところ。郡上八幡だったかな。

── あぁ、、あ、あれは凄いですよね!飛び込むやつですよね?

岩佐 飛び込むやつです。

── 死んじゃうやつですよね。

岩佐 まあね。あれはでも先輩後輩が眼を光らせてるから。やり方も教えたりしてるし。

── あれはすごいですね。警察が止めたけど、町長が「自己責任で許可する」って言ったていう話は聞きました。郡上八幡って、やっぱり凄いですね。あの一揆があったっていうのの継承って。僕も郡上踊りに行ったことがあるんです。二度くらい。一曲の中に「コミュニティーアーカイブ」って言うんですか?地域史が、一揆の記録が「語り物」になってる曲もあったりして──「ヤッチク」っていう曲があるんですけど──やっぱりそこまでして、盆踊りであれも三日三晩くらい徹夜で踊るじゃないですか。しかも一ヶ月くらい期間があるんですよね。あれはほんと凄いと思いますね。あの仕組みは。

 

「持続可能性」っていうのは、昔からやってる事。そこに学ばないといけない。

  

岩佐 やっぱりねー、あの仕組みを考えたのは昔の人ですよ。だから「持続可能性」っていうのはね、本当に全然新しくもない、昔からやってる事で。やっぱりそこに学ばないといけない。だから大体「日本の祭り」って昔の人が作ったわけじゃないですか。何百年も前に。それが今も続いてるっていうのは凄いと思いません?それには「続かせたい」って思う理由が入っているわけで、それは凄いと思いますよ。楽しいっていうのもあるんでしょうけどね。

── やっぱりそれとちょっと無茶なというか、郡上八幡でもその期間それだけ踊るっていうのが──

岩佐 いやー、非日常ですよね。非日常をセッティングしてあげると「息抜き」になる。日頃のストレス発散ですよね。祭りっていうのはそういうのがありますね。

── それがやっぱり新しく出来た住宅街っていうのは、それを持ってないっていうのが──

岩佐 うーん、新興住宅街ね、共有する伝統がないから創るしかないんですかね。(笑)なんかそういう同じくらいの歳の仲間とかいないんですか?

── これから(息子が)小学校になるんで──

岩佐 PTAで会うかもしれないですね。

── そうですね。そっちの方に持って行けたら良いなとは思うんですけど。会話のレベルでどれだけ伝えられるか。こうやって「雑誌を作ってみよう」ってどれだけ続くかわかんないんですけど──

岩佐 まぁ、でもそれも「情報発信」なんでね。それがあったら「読んで下さい」って言えるし。

── 何もやらないより、まぁ試みてみるかという──

岩佐 私、福岡でちょっと郷土研究を手伝った事があって「樋井川」っていう川沿いを全部聞き取りを昔したんですけど。そこで多世代をどうやって繋ぐかっていう話で、子どもっていうのは絶対親が許可しないと出て来ないですよね。

── そうですね。

岩佐 じゃあ、親が大事だと。その親はどうやってアクセスするんだって事で「親父の会」っていうのがあったんですよ。

── あー、はいはい。

岩佐 あります?

── ありました。こないだその「豊能町」で──

岩佐 その「親父の会」っていう場があるとしたら、そこで親父たちが如何に子ども達に学校以外で、何て言うのかな「遊べる」「充分遊べる」「自然と関われる」そういう場を作ってあげる。まぁ、親が、大人が先ずはいても良いから、一緒に何かやってあげる。で、段々子ども達同士が知り合って、自分たちだけで遊べるようになったら。そういうのを学校に上がったら──

── そうですね。京都に「北白川」っていう地域があるんですけど──京大のある辺りで──その『北白川こども風土記』っていう本が最近京都でちょっと話題になってて。1960年代ですかね(1959年に発刊)一時期、京大の先生たちもサポートしながらある小学校(北白川小学校)の一学級ですかね、何年間かかけて地域を「聞き書き」聞き取り調査して「子ども風土記」を作るっていうのをやって、で、すごいその記録が質の高いものだったらしいんですね。

岩佐 あー、すごいすごい。

── で、それが「親父の会」の人達の間で話題になったり、親同士が誘い合って、シンポジウムなんかも結構盛んに行われていて、僕のゴミ収集の職場の運転手さんも二人くらいその噂を僕に仕事中に話してくれたりして、こんな「『北白川こども風土記』ゆうのがあってな〜。なかなかこれ面白い凄い取り組みなんや」みたいな話をしてくれて、僕も興味を持ってるんですけど。ただ残念なのは、やっぱり「子ども風土記」になると一学年のその学年でまとめちゃうと後が──

岩佐 続かない。

── それを(後続の生徒たちが)自分が作るっていう番が、今度は来なくなるっていうか、読者に回っちゃうという事があんのかなって思って。それが毎年出来る「地域調べ学習」を考えた時に「これ子ども風土記じゃなくて演劇にすると良いんじゃないか」と思ったんですね。それを色々調べてたら友だちが京北っていう京都の「北山杉」が穫れるエリアで「環境演劇」というのをやっているのに関わっていて、子ども達に環境に関する地域の調べ学習をしてもらって二泊三日で演劇に落とし込む。脚本を書くのは演劇を実際にやっている大人が書くらしいんですけど。子どもが調べた事を全部盛り込んで。で、子どもが最後は演じるっていうのを10年くらいやってるそうなんですけど。

岩佐 面白いですね。

── ただそれの問題があるのは、そこに参加する子どもの親が、全員京都市内の、ちょっと遠方の街中に住んでる親が多くて地元の子どもはまったく参加しないっていう問題があると聞いて。

岩佐 不思議ですね。熱心さがあるのかな?市内の親っていうのは。

── やっぱり教育熱心な方が多いのかもしれないですね。ちょっとリベラルっていうか、受験勉強だけじゃなくて、もっと子どもに色んな経験をさせたいっていう親の層がある程度確保出来るのかもしれない。 

 

 

森の幼稚園

 

岩佐 「森の幼稚園」とかはご存知ですか?

── いや、ちょっと、、

岩佐 そうですか。あの、これはデンマークか何処かで始まったんですけど。それもね、かなり教養の高い大学出の、都市に住んでるお母さん方が「どうしても子どもに自然に触れさせたい」と。それで「森の幼稚園」っていうのを自分たちで創ったんですよ。それは要するに「建物」がないんですよ。で、森が幼稚園なんです。

── あー、はいはい。(笑)

岩佐 で、あそこは自然が豊かだからそういう事が出来るんですけど、学校の先生が毎日子ども達と集合場所から森に行って、ずっと森で遊ばせるんです。雨の日も雪の日も、どんな日も必ず森に行く。

── え?基本なんにも校舎が無いんですか?

岩佐 無いです。

── すごいですね。

岩佐 それはあちら(デンマーク)ね。それを日本でいま真似しつつあって。「森の幼稚園」日本でも色々やってますけど、日本は色々あるんです。校舎はあるけど森に行くとか。(笑)ネットで調べると色々事例が出ます。だからそういうのに共感する親が「やりましょう」って言って先生さえ見つかればね。

── そうですね。

岩佐 ただ、あちらの方は私の大学院の後輩がその研究をしてて、ドイツに行って調べたんですね。ドイツはね、森がいろいろあるんだけど、「フォレスター」っていう森を専門にしてる人がいて、その人が頻繁に子ども達に「森を教えてくれる」っていうのかな「これは何の木」とか「これはこうやって使うんだよ」とかね。そういう大人が時々やっぱり見守りながら教えるって言うのが大事で。「森の幼稚園」一つ探してみるのも良いと思う。

── はい。調べてみます。

岩佐 ただお宅のその住宅地域では森は無いんで、ちょっと可哀想なんですけど。

── そうですね。車があるご家庭じゃないとなかなかアクセス困難ですね。ただもうそういう風にやっていくしかない状況なんで。

  

何気ない村とか路地を歩いて地域を知る運動「フットパス」

 

岩佐 (立ち上がり資料を持ってくる)うちの研究所に大分大学と提携をして、大学生がですね──(話しながら持って来た資料の「地図」を開く)

── 良い地図ですねー!

岩佐 この近くですけど「西上浦」って言う所で聞き取りしたんですよ。そのバックグラウンドを話すと、9集落あるんですけど各集落ごとに何人かの人が自分で写真を撮るんです。自分でいつも大事にしている物とか、気に入ってる風景とか、気に入ってる花とか、動物でもなんでも。で、それを持って来て学生に説明するんです。それを全部学生が書き取ってレポートにするんですね。で、そのレポートを元に地図を作ったんです。

── これがその地図ですか?

岩佐 そうなんですけど、いやこれは学生じゃないんです。これはプロが。(笑)その原点がその大分大学の学生が作った地図で──

── あ、そうなんですか。そっち見てみたいです。

岩佐 しかも各集落ごとに聞き取ったので、集落ごとの地図も出来てるんです。ちょっと今ね全部人気があるんで持っていかれちゃって無いんですけど。(笑)で、この西上浦っていうところの地域振興協議会の方々が「これは素晴らしい取り組みだ」と、「学生が良い仕事をしてくれたんで、これはプロのデザイナーを雇ってその成果をキレイな地図にしたい」っていうことでこれが出来た。だからこれは予算を取って地域がやったんですね。やっぱりすごい魅力的じゃないですか。

── そうですね。この元をみてみたいですね。

岩佐 それが終わったら、私がですね「せっかく各集落の地図が出来てるから──「フットパス」ってご存知ないですか?

── 「フットパス」わかんないです。スタンプラリー的なものですか?

岩佐 イギリスで始まった「町歩き」の運動なんですね。普通は有名な観光地を歩くのが観光なんですけど、フットパスは「何気ない村」とか「路地」とかそういうものを歩いて「地域を知る」っていう運動で。イギリスで始まったんですけど。

── それは良い発想ですね。

岩佐 それは日本にもありますよ。本部が。「フットパス本部」っていうのが。いま全国各地にそのフットパスを作って、地図を作って観光客に「どうぞ」って配ってるんですけど。それを知ったので私は「この集落の内から一つ選んでやってみませんか?」と。で、そのフットパスを作る時に中学生と、そしてAPUといって「立命館アジア太平洋大学」っていうのが別府にあるんですけど、留学生がいっぱいいるんですよ。せっかくだからその留学生を呼んでね──英語しか喋れないけど──その地元の中学生と留学生で地図作りをさせる。丸一日かかって午前中歩いて、区長さんが案内するんですけど。それで午後は公民館で。要するにルートを決めないといけないんですよ。「ここから始まって、こう行って、こう行って、これを見て、これを見て、これで一時間」とか、そういうのを話し合ってやったものをまた西上浦が予算を取って──

── 予算を(笑)

岩佐 予算を取ってちゃんとプロにしてもらったのがこの地図なんですね。(前のとは別の地図)これが「古江」ってとこなんですね。

── 古江、はい。

岩佐 ここにあります。ここ、ここをやったんですよ。で、中学生とかが、あちこち見ながら、正にね地元の何があるか?っていうのを描いてやったんですけど。これをやったらまた西上浦の協議会が今度は「狩生」でやりたいって言い出して。(笑)結構大人のほうが──

── 続きが見たいと言うか──

岩佐 もう中学校の校長先生が「中学校の行事として毎年やるようにしたい」と言ってるんですよ。

── はあはあはあはあはあ(仕切りに感心する)

岩佐 だからね、何がきっかけになるかわからないですけど、その演劇でも良いし、やっぱりその取り組みを先ずは率先してやってる人を見つけるんですね。で、その人にしっかりこういう風な魅力的な成果を──

── そうですね。それが大事ですね。

岩佐 そしたら配って「凄いね!」ってみんな言うし。そうすると「次またやろう」ってなるから。そういう風に段階的にね、成果をしっかり出して行く。

── そうですね。そこですね。わかります。

岩佐 差し上げます。

── ありがとうございます。参考にします。

岩佐 裏はね英語でやってるんですよ。違う違うこっちのフットパス。だからインバウンドの観光客を入れたいって言ってるんですよ。この「ど田舎」に。その心意気が凄いでしょ?(笑)

── でもやっぱり逆に、観光地に食傷気味になってはいると思うんですね。どんな人も。やっぱりフットパスって「自分で見つける」っていう──

岩佐 何でもない集落ですよ。

── いや、でもそこにもすべてあると思います。

岩佐 そうなんですよ。ここもね、ものすごい綺麗な花とかみかんの成る木がいっぱいあって四季折々の花が咲いてて良いところなんですね。

── 僕らここに来たときも「うわっ、ここはすごい」「図らずも旅を味わえてる」って言って喜んでました。でもやっぱりそういうものがどの地域にもあると思います。僕も地域の魅力っていうのは「観光地」とされてる場所にもそれはありますけど、それだけじゃもちろんないと──

岩佐 そうそう。だから良く「オレたちの所は何にもね〜よな」って言う人がいるけど「あるでしょ」って。だから「あるもの探し」を子ども達と一緒にするっていうのが大事です。その地域で自分のやりたい事に共感を持ってくれる人を見つけるって事ですね。この西上浦に「やってみよう」っていう人を見つけられたからこういう事が出来たんで。

── この一枚を達成するだけでも、すごいここから展開が出来そうですもんね。

岩佐 だから実質ね、六回週末に来たんですよ、彼らは。ここだけじゃなくて凄いのは大入島っていう島も行ったんですよ。だから二つの大きい地域をやったから結構忙しかったんですけど。

── すごいです。

岩佐 私もほんとその大分大学がやった調査のお陰でこうやってそれを繋げる事が出来た。地元と。で、これからも続けられるだろうし、校長もやる気だし。

── 校長がやる気っていうのは嬉しいですね。

岩佐 そうなんです。大事だと思いますね。

 

佐伯市は四年前か五年前くらいからミュージカルを子どもたちに教えてる。そこでは子ども達は学校を超えて友達になれる。

   

── 僕もその演劇の活動をしてみたいっていうのを豊能町の町役場の方と、町立図書の方に一回プレゼンしたことがあって、そしたら「すごい良い事しようとしてるじゃない」って言って頂いて。「でも、これもっと教育委員会とか、もっと上の方の人達に言わないと駄目なんじゃないの?」って言われて──

岩佐 実は佐伯市は四年前か五年前くらいからミュージカルを子どもたちに教えてるんですね。

── そうですか。

岩佐 それは教育委員会の予算でやってます。誰が発端かわからないんですけど。で、ほんとにやりたいっていう子どもを集めて始めて。別に強制でもなんでもなくて。で、披露するじゃないですか。そしたら「すごい!」ってなるでしょ。そしたらそれ見た子どもが「私も入りたい」っていう事で、今ね、70名くらいいるんですよ。しかも色んなところの学校から。だからそういう意味で子ども達は学校を超えて友達になれる。それすごい大事なんです。年齢も違う。そういう子たちが「ミュージカル」っていう事で一致団結してやるって、ものスゴい良い教育だと思う。

── そうですね。そうですね。

岩佐 それは多分、東京とかだったら民間がやってる。お金取って。でも田舎にはそういう人たちいないから。教育委員会がやってるんですけど。それ、あたし提案したら良いと思いますよ。教育委員会に。佐伯の例を言って下さい。

── はい!わかりました!

岩佐 佐伯市でこんな事やってるって、スゴいんですよって。

 

 

友人の菅かおるちゃんの祖父母さんの古い家の改修工事に参加した仲間たちと。(大分県速見郡日出町)岩佐さんの著書を囲んで。かおるちゃんのお父さんは佐伯市出身の絵本作家の菅瞭三さん。

 

  

●岩佐礼子(いわさ・れいこ)1958年、大分県佐伯市生まれ。1981年、明治学院大学文学部仏文科卒業。1991年、ジュネーブ開発研究所(現・国際開発研究所)(スイス)修士課程卒業。1992-2006年、ユニセフ職員としてアフリカやアジアの緊急人道支援に携わる。2014年、東京大学新領域創成科学研究科博士課程修了。博士(環境学)。現在、東京大学客員共同研究員。共著に、『国際緊急人道支援』(ナカニシヤ出版、2008年)、主な論文に、「頼母子講という自発的小集団の『創発』から捉えた内発的発展」『地球システム・倫理学会会報』8(2012年)、「持続可能な発展のための内発的教育(内発的ESD)――宮崎県綾町上畑地区の事例から」『環境教育』22-2(2013年)、「地域の自然と社会に根ざした「地域づくり教育」を考える――山形県大井沢小中学校の『自然学習』の考察」『環境教育』23-2(2013)など。

『地域力の再発見 – 内発的発展論からの教育再考』藤原書店(2015/03発売) 

  • サイズ A5判/ページ数 389p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784865780185
  • NDC分類 361.7
  • Cコード C0036

創造的な“地域の力”は、本当に喪われたのか?
共同体の創造的な力に注目した鶴見和子・内発的発展論を出発点に、生活世界に根ざした「生きる知」の伝達の現場を丹念にフィールドワークすることで、「制度化」「専門化」に基づく近代的な教育の枠組みを相対化し、“地域の力”の伝承と再創造の可能性を探る野心作。
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 はじめに

序 章 「創発」と「共同性」を手がかりとして

第一章 「発展」と「教育」をいかに捉え直すか――内発的発展論の視座から

第二章 危機が顕在化させた現場の力――宮城県南三陸町歌津伊里前

第三章 生活世界から探る内発的発展――宮崎県綾町上畑地区

第四章 「三山講」と地域の共同性――千葉県市原市八幡・上高根

第五章 「自然学習」と地域に根ざした共育――山形県西川町大井沢地区

第六章 ESDから「内発的ESD」へ――生活世界からの再創造

終 章 「地域力の再発見」に向けて

 おわりに 

 

出版社からのコメント

現代社会に目を向けると、一見様々な制度の枠組みや政策と市場経済によって形作られているようだが、それらとは次元を異にする地域独自の生活世界の発展が日本各地の現場において重層的に進行している。
本書のねらいとしては、それら地域の現場から内発してくる発展の内実と、そこに埋め込まれた教え合いや学び合いのやりとりを探求することによって、現場を生きる人々のまなざしや、生命の視点から持続可能な発展を捉え直し、現場で発展を支える力の根底にあるものを浮き上がらせ、鶴見和子の提唱した「内発的発展論」の深化を目指したいと考えている。
(本書より)